~2024京都84🌟2024年の夏休みの振り返りです
天龍寺
京都・嵐山の見どころのひとつ・天龍寺にやってきました。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため創建した寺だそうです。

天龍寺てんりゅうじ
霊亀山(れいきさん)と号する臨済宗天龍寺派の大本山で、釈迦如来を本尊とする。平成六年(一九九四)に世界文化遺産に認定登録された。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、暦応二年(一三三九)、夢窓疎石を開山に迎え創建した寺院で、当初は暦応資聖禅寺と称されたが、尊氏の弟直義が見た金龍の夢に由来し、天龍資聖禅寺と改められた。その後、寄進や天龍寺船の貿易収入により伽藍が整えられ、至徳三年(一三八六)には、京都五山の第一位を占め、大いに隆盛を極めた。しかし、度重なる火災により堂宇を焼失し、現在の諸堂の多くは明治以後に再建されたものである。夢窓疎石の作庭と伝えられる池泉回遊式庭園は、曹源池を中心に遠景の嵐山と近景の亀山の借景を巧みに取り入れており、我が国最初の史跡及び特別名勝に指定されている。また、寺宝として絹本著色夢窓国師像(けんぽんちゃくしょくむそうこくしぞう)など数多くの重要な文化財を 蔵している。
京都市
「天龍寺船の貿易収入により伽藍が整えられ」。。。お寺って昔からやり手で稼いでいたんですねぇ。
総門・中門
さて。総門から入りまして、

中門。すでに、すごい。門越しに借景の山が目に入ってきます。

庫裏・方丈へ だるまさんも登場
まっすぐ行くと、建物の入口(庫裏)に。

入ると、達磨の絵がどどーんとお出迎え。コミカルな印象を受けるのは、絵が漫画っぽいから?迫力 あって好きな絵です。

開山・夢窓疎石の足跡図もあり。「世俗からの遁走」って、いわゆる現実逃避の旅???イイネ。

庫裏とつながっているメーンの建物「方丈」へ。建物の裏側の庭(曹源池庭園)が見えます。建物の薄暗さとあいまって、緑色がひときわ鮮やか。

そして、小方丈には達磨の掛け軸もありました。

曹源池庭園 広がる空間
庭に出てみました。遠景の嵐山、近景の亀山が借景。池は空や雲を映して、すごい広がり感です。

夢窓疎石が池の泥をさらっていたら、池の中から「曹源一滴」と書かれた石碑が出てきたため、池の名前を「曹源池」としたそうです。曹源一滴水は、禅のことばだそうです。


後醍醐天皇廟
庭の奥を歩いていくと、「後醍醐天皇聖廟多宝殿」がありました。ものすごく派手な屏風絵があります。



奥に鎮座するのが後醍醐天皇像かな。

建物じたいも、威厳があります。

説明書き。建物は昭和のものなんですね。

後醍醐天皇聖廟多寶殿
此の地は禅宗首傳檀林寺の旧跡にして、後嵯峨亀山天皇の仙居を造営せられし所である。尊治親王も亦ここに修学せられ、成人して、建式中興之英主後醍醐天皇と尊称し上る。
延元四年(西紀一三三九)八月十六日、天皇は秋霧の立つ吉野行宮で、左手に法華経の第五巻を持たせられ、右手に宝剣を按じて、「玉骨は仮ひ南山の苔に理るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思う。」と切切たる御遺勅を賜うて崩御なるや、光厳上皇は院宣を下して御菩提の為に離宮を革めて禅刹天龍寺とせられた。
創建以来八回の火災に違い、昭和九年精拙禅師十方に勧進して、現在の聖廟の完成を得た。吉野朝時代の紫宸殿さながらの建築様式である。中央に後醍醐天皇の御尊像を、両側に歴代天皇の尊魄を奉安する。
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