~2024京都34🌟2024年の夏休みの振り返りです
やっとこさ、真名井神社の入口にたどり着きました。

「天の真名井の水」が神社入口にありました

狛犬ではなく勾玉を持った龍が鳥居を守っています。

参道の階段を上っていくと、本殿。

参道の途中で「ここから先撮影禁止」の看板があります。心の目に焼き付けるしかありません(あるいは、神社のHPを見るか)。

こじんまりとしたお社は、比較的新しく整っていました。が、こちらの祭神はお社にまつられているのではなく、お社の後ろの岩に宿っているんだそうです。岩に神が宿ると考えられていた古代から、真名井神社の場所は祭祀の場だったみたいです。半端なく古い時代からの聖地ですな。
ちなみに、岩は二つあり、向かって右側が「磐座主座」、左側が「磐座西座」。メーンの神様は豊受大神ですが、その他いろいろです。
神 | 相殿 | |
---|---|---|
磐座主座 | 豊受大神 (とようけおおかみ) | |
罔象女命 (みづはのめのみこと) | ||
彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) | ||
神代五代神 (かみよいつつよのかみ) | ||
磐座西座 | 天照大神 (あまてらすおおかみ) | |
伊射奈岐大神 (いざなぎのおおかみ) | ||
伊射奈美大神 (いざなみのおおかみ) |
神社入口には「真名井原縁起」が書かれた石碑があります。

真名井原緣起
上古の世丹後國未だ分れず丹波と称す 造化の霊勝天梯立眼下に連なり内は阿蘇海を抱き外は与謝海蒼々として日本海に開く 東の海中に冠島沓島神容を現し天神の示現日子日女を祀りて常世嶋とも称す 此処東北に神体山を背負へる奇しき一画あり即ち元初の天神降り来ませる処真井原にして今太の磐座存す 東座は地上僅に現ると雖も生命根源の神又御饌の神とも申す豊受大神鎮まり給ふ 大神は宇宙の一気発する大元のけの神にして時二月神に化し或は海神とも現じてその働き変幻す 之の神は●竈?篭?宮祝部海部直の祖丹波道三三の娘八乙女が斎き祭りしとぞ伝ふ 瑞光機に応じて表はれ背後の山峡に狭霧立たば水氣根源の玄妙を思ふべく真名井の水を手に結びぬ之の山に藤の花咲かば神霊の気醞釀化現して芳秀現世に寄さし給ふを知る ★真井原に神気発する時風東より西に吹くと云へり げに大神を祭る神事懿徳天皇四年甲午に始まりて古へ藤祭と称し欽明朝以後の葵祭の濫觴たり 元の山を天香語山又藤岡山或は比沼の真井とも云ふは命名の深秘ありて其の心は御生しの神事なり 豊受大神東正中に鎮まるに対し西座に鎮まる雄大な磐座は大八洲國生みの元神伊射奈岐伊射奈美に神の体にして日神此の処に●生すと伝へて日之小宮と云ふ 伊射奈岐の神は天浮橋を樹てて磐座の女神に通ひ以●之の磐座を●●石とも申し岐美に神和して坐す 即ち天橋立は神人通行の梯にして古へは籠宮の境内参道と爲す 神代に天上なる天真名井を挟みて日神素尊誓約して三女神五男神を生めり 其を地上に求むれば之の真名井原ならむと伝ふ 奥に此の処両個の磐座は天地日月水火陰陽併祭の源基にして民族の霊覺の象徴大和心の発祥なり 崇神帝の御守天照大神倭の笠縫邑より真井原に遷移し豊受大神と同殿に鎮まり吉佐宮と申す 二神は高天原の幽契に依りて離る可からざる事一神にしてニ座二神にして一座の秘伝厳として籠宮に存す 是籠宮を元伊勢と申す事の元なり 中書に曰く天子の大社は必ず霜露風雨を受く以て天地の●気に達せんが爲なりと 真名井社今に神代の風儀を遺す 天下万民心あらば来り詣でて世界平和を祈り灼然の霊気に浴されん事を
平成ニ年度午旧五月五日
丹波國造八十二代
元伊勢籠神社宮司
海部光彦 敬白
豊受大神をまつる「藤祭」は、懿徳天皇4年に始まったそうな。ウィキによると紀元前507年。縄文時代やんけ。そのほか、色々すごいことが書いてあります。
- 最初の天の神が降りてきたところが真井原で、今の磐座の場所
- 東座は豊受大神。宇宙の気発する大元の神。月神・海神
- 真井原に神気発する時、風東より西に吹くと云へり(なんかかっこいい)
- 豊受大神を祭る神事・藤祭が懿徳天皇四年(B.C.507 )に始まり、のちの葵祭の起源となる
- 西座は伊射奈岐・伊射奈美。
- 伊射奈岐の神は天浮橋を通って磐座の女神に通った
- 天橋立は神が通った梯で、古くは籠宮の参道だった
- 崇神帝の御守(B.C.148-B.C.30)、天照大神倭が笠縫邑から真井原に遷移。豊受大神と同殿に鎮まり吉佐宮と申す
派手な観光地でもなく、小ぢんまりしたお社ですが、密かにドラマチックです。
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